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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)8997号 判決

原告 小野田寿美枝 外二名

被告 株式会社石川ペン先製作所 外一名

主文

被告株式会社石川ペン先製作所は、原告小野田寿美枝に対して金九拾八万八千八百六拾弐円、原告小野田初恵及び原告小野田一郎に対してそれぞれ金七拾八万八千八百六拾弐円ずつ、並びにそれぞれ右金額につき昭和二十九年九月三十日からその支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。

原告らの被告石川徳松に対する請求及び被告株式会社石川ペン先製作所に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告会社との間に生じた分はこれを三分し、その二を原告らの、その余を同被告の負担とし、原告らと被告石川との間に生じた分は原告らの負担とする。

この判決は、被告会社に対する原告ら勝訴部分に限り、原告小野田寿美枝において金弐拾万円、その他の原告両名においてそれぞれ金拾五万円に相当する担保を立てるときは、仮に執行にすることができる。

事実

第一請求の趣旨及び原因

原告ら訴訟代理人は、

被告らは、各自、原告小野田寿美枝に対して金三百四十万五千百二十八円、原告小野田初恵及び原告小野田一郎に対してそれぞれ金三百十五万五千百二十八円ずつ、並びにそれぞれ右金額につき昭和二十九年九月三十日からその支払ずみまで年五分の割合の金員を支払うべし、

訴訟費用は被告らの負担とする。

との、かつ仮執行の宣言を附した判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。

一、原告小野田寿美枝は訴外亡小野田義雄の妻、原告小野田初恵は右義雄の長女、原告小野田一郎は右義雄の長男で、被告株式会社石川ペン先製作所は鋼ペン先(ゼプラペン)の製造販売及びその他の文具類の製造販売並びにこれに附帯する一切の業務を営む会社、被告石川徳松は右被告会社の代表取締役であり、被告会社に代つてその事業を監督するものである。

二、右訴外亡小野田義雄は、昭和二十九年七月三十日午前十時十五分頃、東京都文京区本郷三丁目都電停留所より神田松住町都電停留所方面に通ずる道路(別紙図面〈省略〉の丙戊道路)の車道上を、自家用モータースクーターを運転し、本郷三丁目から松住町方面に向つて進行中、都電湯島二丁目停留所附近の五叉路にさしかゝつた際、台東区末広町方面より右場所に通ずる八間道路(別紙図面の甲道路)上を、被告会社の被用者で、かつ被告石川が監督する被告会社の運転手寺村毅三郎(当時十九年)の運転する被告会社の中型トヨペツトライトパン自家用貨物自動車が走行し来り、右小野田義雄の運転せるモータースクーターの左側面部に衝突したが、これがため、小野田義雄は前記道路上に転倒し、スクーターより約三米はねとばされて、都電電車軌道上の御影石敷石に頭部を激突し、頭部外傷の重傷を受け、ために、同日午後八時三十七分、東京都文京区湯島二丁目九番地順天堂医科大学附属順天堂病院において死亡するに至つた。

三、右の事故は、全く、被告会社の被用者であり、かつ被告石川が監督する前記運転手寺村毅三郎の過失に基くものである。

(一)  右寺村が貨物自動車を運転して走行し来た八間道路(別紙図面の甲道路)は台東区末広町方向より本件衝突地点に向つてやゝ緩い傾斜の上り坂をなしており、被害者小野田の進行してきた都電本郷三丁目方面より神田明神方面へ北西より南東に向つて通ずる都電のある道路(約八間以上の幹線道路、別紙図面の丙戊道路)と、文京区春木町方面より同区湯島二丁目順天堂病院前を経てお茶の水方面へ北東より南西に通ずる四間道路(別紙図面の乙丁道路)との交叉する地点に、更に前記八間道路(甲道路)が南東より北西に向つて、前記都電道路(丙戊道路)に約三十度の角度で交叉する五叉点で、交通量も多いから、本件における被告会社の自動車のように甲道路上を該場所にさしかゝつた諸車は、甲道路上、別紙図面の〈イ〉点にある「一時停止」の標識にしたがつて同図面中のA地点において一時停車したうえ、他の道路(主として春木町方面より来る別紙図面の乙道路)より同地点に来る他の諸車との衝突の危険の有無を確かめるために、前方を注視し、事故の発生が予見された場合には、直ちにブレーキをかけ停車する等、事故の発生を未然に防止することができるような手段をつくし、前方左右並びに後方に細心の注意を払い、綬急に応じ随時危険を未然に防ぐべく注意しつゝ、該地点より徐行し、更に別紙図面中B地点に至り、同地点において更に一旦停車して、再度前記注意義務を尽して徐行しつゝ、他方向に向う道路に進入し、もしくは他道路を横断すべき注意義務がある。(一時停車及び前方注視の義務)

(二)  更に、本件現場の地形、各道路の広狭、その交叉状況より見れば、本郷三丁目方面より神田明神方面に通ずる都電道路(丙戊道路)と他の道路(甲、乙、丁道路)とは、いわゆる主道と枝道との関係であることが明らかである。そして、一般に枝道より主道に出る車は、一旦主道に出る前に停車して、主道を進行し来る諸車を優先進行せしめ、主道を進行する諸車の間隙を見て主道に出るべきであるから、本件衝突地点において、前記甲、乙、丁道路より本件現場にさしかゝつた諸車は、丙戊道路を進行中の諸車を優先通行せしめるべき義務があり、そのことは前記のように本件事故発生地点附近、別紙図面の〈イ〉及び〈ロ〉点に「一時停止」の標識のあることによつても、明らかに知り得るところである。(避譲義務)

(三)  しかるに、前記寺村は、前記のように、台東区末広町方面から甲道路を上つてきて、前記「一時停止」の標識を無視して一時停車もせず、漫然として運転し、坂を上り来つたまゝの高速力をもつて前記、A、B地点を通過し、たまたま同地点を本郷三丁目方面より神田明神方面へ自家用スクターを運転して本件地点を通過せんとした小野田義雄の車を見ても、何らの注意を払わず、更に右小野田のスクターの進行に対して譲歩することなく、漫然として進行をつゞけ、前項主張の注意義務をすべて怠つたばかりか、まさに衝突せんとするも、プレーキペタルをふむ等損害の発生を未然に防止するために何らの処置をもとらなかつたため、本件事故が発生したものである。

(四)  而うして、本件現場は五叉点であるから、交叉点は相当広い平坦地形をなし、かつ本件事故発生当日は晴天であり、しかも当時甲道路上寺村の運転し来つた進路には前方の視野をさえぎる他車もなく、普通の程度の注意をしておれば、十分本件事故の発生を防止し得た状況にあつたから、本件事故は全く寺村の注意力欠如に基く重過失に因つて発生した、というべきである。

四、被告会社の被用者で、かつ被告石川の監督する前記寺村が運転していた前記自動車は、被告会社の所有で、寺村は被告会社の営業に従事中、本件事故を惹起したものであつて、これに因つて前記小野田及びその妻子である原告らが被つた損害は、被告会社の業務の執行につき生ぜしめられたものといわなくてはならないから、使用者である被告会社はもちろん、これに代つて右運転手寺村を監督する被告石川においても、右損害を賠償すべき義務がある。

五、本件事故に因り、被害者小野田及び原告らの被つた損害は次のとおりである。

(一)  被害者小野田義雄は昭和二年電気工学校を卒業し、爾来電気工事業務に従事すること二十七年、昭和二十三年十二月八日に株式会社オノダ電気商会を設立し、現にその代表取締役であるほか、交通安全協会支部長その他の名誉職をも兼ねていたものであるが、右株式会社オノダ電気商会は、それまで小野田義雄が個人経営にかゝる電気器具商を法人に組織変更したものであつて、その資本金、営業用資産等すべて個人営業時代の小野田の資産を受け継ぎ、株主は同人及び妻の同族をもつて組織された、いわゆる同族会社であり、その営業の実態は何ら小野田の個人営業と異ならないから、小野田の収入を実質的に把握するためには、同会社の営業上の売上高から電気器具商一般の利益標準によつて算出することが適当である。しかるところ、株式会社オノダ電気商会が税務署に提出した、小野田の死亡直前四期(六カ月一期、昭和二十七年六月から昭和二十九年五月まで)の同会社の営業の総売上高は、右二十四カ月の平均一カ月金二十八万千八百四十二円であり、電気器具商の利益標準(小売)三〇%と目されているから、小野田は同営業によつて少くとも一カ月平均金八万四千五百五十二円の利益収入を得ていたというべきである。なお、小野田は電気工事人としての一級免許を有しており、会社の営業として以外にその個人的技術による収入が少なくとも毎月金四万円を下らず、さらに又、東京都文京区駒込動坂町三十六番地の都立駒込病院、東京都消毒所との職員給食供給契約により、食堂の経営をも行つており、その売上は一カ月平均二十万円、利益として約六万円を得ていた。したがつて、同人の収入は総計一カ月金十八万四千五百五十二円を下らなかつたものである。而うして、同人死亡当時の家族は、妻原告寿美枝、長女同初恵、長男同一郎とも計四人、住込店員五人の全部で九名であり、家計費として一切を含めて一カ月金十万円を要したから、同人は差引金八万四千五百五十二円を下らない純収益をあげていたものであり、仮りに右純収益額に上下の変動がありとするも、同人が自己及び家族の名義で日掛、月掛により当時一カ月少なくとも金六万円の貯金、掛金を行つていたことからしても、少なくとも一カ月金六万円、年間金七十二万円の純収益を得ていたことが明らかである。小野田は明治三十五年六月二十六日生の普通健康体を有していた男子で、死亡当時満五十二才であつたので、厚生省発表の第九回生命表(昭和二十九年十一月三十日発行厚生の指標掲載)によれば、その余命は一九・七八年で、少なくともなお十九年は生存し得たであろうから、その向後十九年間の総収入を、いま一時に請求するので、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して計算すれば、七百一万五千三百八十四円となり、同人はその死亡に因つてその将来得べき収入を失つたことにより、同額の損害を被つたものというべきである。かつ、小野田は、本件事故により自家用モータースクーターの修理に金五千五百八十円を要する損害、また時価金二万五千円相当のスイス製十型十七石金時計を損壊し、入院、医療、葬式費用等を合せれば、これら現実に被つた損害も総計金二十万円に達するのである。原告ら三名は小野田の死亡を原因とする遺産相続によつて同人の損害賠償債権を取得し、その持分は相均しいので、以上合計金七百二十一万五千三百八十四円の三分の一なる各自金二百四十万五千百二十八円ずつの損害賠償債権を有するものである。

(二)  而うして、原告小野田寿美枝は昭和十一年二月十日に義雄と婚姻し、爾来十八年間同人と円満な結婚生活を送り、右事故発生当時満三十五年、長女である原告初恵は昭和十一年一月三十日生で当時満十八年六カ月、長男である原告一郎は昭和十三年九月三十日生で、当時満十五年十カ月である。

原告らは前記のごとき営業上並びに社会的地位を有する唯一人の大黒柱たる夫、父を失い、原告寿美枝は婚期を控えた原告初恵や、上級学校(大学)進学のため勉学中の原告一郎を抱えて、満三十五才をもつて寡婦となり、亡夫の今日まで粒々辛苦経営し来つた前記電気工事業の経営の責任まで、一時にその双肩にかゝることとなり、その精神的打撃は尋常ではなく、また原告初恵は前記のとおり婚期を控え、原告一郎は勉学の半途において、ともに父を失い、将来片親なき子の悲運を受けなければならない。原告らがかくのごとく精神上甚大な苦痛を被つたことについて、被告らは原告らに対して各自相当の慰藉料を支払うべき義務がある。

而うして、前記諸般の事情を斟酌するときは、被告らの原告らに支払うべき慰藉料額は、原告小野田寿美枝に対して金壱百万円、その他の原告両名に対してそれぞれ金七十五万円を相当とする。

六、よつて、こゝに被告らに対し、各自、原告小野田寿美枝に対しては、以上合計金三百四十万五千百二十八円、原告小野田初恵及び同小野田一郎に対しては、それぞれ金三百十五万五千百二十八円ずつ、並びにそれぞれ右金額につき本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和二十九年九月三十日から支払ずみまで、年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

七、(被告らの主張に対して)

(一)  小野田のスクーターが当時の寺村の位置からは通常の状態では発見し得なかつた、との被告らの主張を否認する。本件衝突地点は相当広い広場を形成し、主道上を本郷から湯島方面にさしかゝる車は交叉点の相当手前で発見し得るもので、ことに本件において小野田の運転したスクーターはさほどの高速力を出し得た車でもないから、これを発見してからでも十分回避し得るものである。被告会社の運転手寺村は、おそらく、小野田のスクーターを発見したが、これが十分に通過し得るものとの判断を誤つたものと推測される。

また、寺村の車の前に、その視野をさえぎる他車の存在した、という事実も否認する。仮にそのような他車が存在したとしても、寺村は漫然とこれに追随した過失の責を免れない。

(二)  原告らは被告会社に対して直接その過失を原因としての賠償責任を追求するものではなく、民法第七百十五条第一項に基き寺村の使用者としての賠償責任を主張するものであるから、本件事故が何ら被告会社の直接の過失に基くものではない旨の被告らの主張は、これをもつて本訴請求を拒否するの理由とするに足りない。本件事故は寺村が被告会社の事業を執行するについて、その過失に基き発生したものであり、被告会社が同法条に基き損害賠償義務を負担することは当然である。

次に、被告石川は被告会社の取締役であり、株式会社の取締役は会社の被用者に対し、会社に代つてその事業の執行を監督する地位にあるものであるから、被告石川は、民法第七百十五条第二項に基き、本件事故を原因とする損害賠償責任を免れないものである。

(三)  被告らは、原告らの主張する亡小野田が生前得ていた純収益の額を争つているが、同人が死亡直前まで、日掛、月掛によつて貯金をし、その額が毎月金六万円を超えていた事実によつても同人に原告ら主張の程度の額の収入があつたことが明らかである。

また、同人は企業主であるから、勤め人のような停年はなく、年をとれば一層信用経験を増して収益も増加するのが普通であり、被告らがいうごとく、五十五才ないし六十才を過ぎれば扶養家族視されるという主張は、当らない。

(四)  本件事故発生の原因として、被害者たる小野田の側にも過失があつたということ、及び寺村の選任、監督につき被告会社が相当の注意を払つた、という被告らの主張は、いずれもこれを争う。ことに、被告会社が被用者寺村の事業担任後、その適、不適についていかなる注意をしたかということについては、何らの主張も立証もないのである。

第二答弁

被告ら訴訟代理人は、原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする、

との判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告ら主張の請求原因事実中、原告らと亡小野田義雄との身分関係、被告会社の業務の点及び被告石川が被告会社の代表取締役であること、原告ら主張の日時にその主張の地点でその主張の事故(ただし、小野田がスクーターより約三米はねとばされた、との点を除く。)が発生し、そのために右小野田義雄が死亡したこと、右事故発生現場は原告ら主張の各道路がその主張のごとき形状をなして交叉する五叉点であつて、原告ら主張の箇所に「一時停止」の標識があり、同所を進行する諸車は該標識附近において一時停車をなすべき義務のあること、被告会社の自動車の進行してきた道路が被害者小野田の進行してきた道路の枝道であること、右事故は被告会社の被用者である寺村毅三郎が被告会社所有の自動車を運転して、被告会社の営業に従事中に惹起されたものであること、並びに前記小野田の妻子である原告らが同人の死亡に因つて精神的打撃を受けたであろうことは認めるが、小野田義雄の地位、職業、年齢、その家庭生活、及び原告らの年齢の点は知らず、その他の原告らの主張はすべて争う。

二、(一) 右寺村が被告会社の自動車を運転して進行してきた道路が被害者小野田のスクーターが進行してきた道路に対して枝道の関係にあることは前記のとおり認めるが、その主道横断の要領に関する原告らの主張は失当である。本件場所の横断方法としては、原告ら主張のB点において一時停車をし、主道たる丙戊道路の交通杜絶を確認したうえで、横断すべきものであつて、寺村はかかる方法により横断したのであり、同人には何ら運転上の過失はない。また原告ら主張のA点は、法規上の停止線ではない。

(二) 寺村は原告ら主張のような無謀な運転をしたものではない。

同人は、規定以下の時速をもつて八間道路を緩行運転し来り、B線上に一時停車して、主道である丙戊上の車の交通杜絶を確認したうえで、これを横断進行したもので、原告らの主張するように、小野田の進行を知りながら漫然と運行し来つて衝突し、かつブレーキもかけなかつた、というがごとき事実は全然ない。

(三) 本件衝突原因は、寺村も小野田も両者予期し得ない不可抗力によるものというべきである。

本件事故発生当日、寺村は社用で得意廻りの社員を送り、その帰路、原告主張の甲道路を法規による制限以下の三十キロ以内の時速で緩行してきたが、本件事故の発生した五叉路は常に通り慣れた場所であり、いつものように原告ら主張のB線上に一時停車し、主道路たる丙戊道路の車の通行の杜絶を確認したうえ横断を開始したが、当時寺村の停車したB線上には、寺村の右側の同人よりやゝ前進した位置に自家用車番号のオート三輪車が停車しており、寺村の横断方向と同方向に進路を保持しつゝまず右三輪車が横断を開始し、寺村はこれよりやゝ遅れて徐々に自動車を始動したが、右側三輪車は横断を開始するや、急に方向指示器も出さずに変針して右曲し、主道路を驀進し去つた。そしてそれと同時に寺村の目前に突如として被害者小野田の運転するスクーターが現われ、寺村はそのとたんにブレーキを力一ぱいにふんだが、間に合わず惰力で約四十センチ位前進したものである。すなわち、それまで寺村の位置から、被害者の車は、寺村の前方右側に存在した右オート三輪車のために生じた死角(視ること不能の角度)内にあり、通常の状態では発見できない関係にあつたのである。

被害者小野田の運転するスクーターは、当時全速力で疾走し来り、何らブレーキをかける様子もまた変針する様子もなく、そのまゝ寺村の車の前方バンバーに横ずりにきしみながら横倒しになつたが、これはおそらく被害者の車からも中間に挾んだ前記オート三輪車のため、寺村の車が死角に入り、これを発見し得なかつたものと推測できる。

もし、原告ら主張のように本件事故は寺村が漫然運転をつゞけたため生じたものとすれば、同人の車は小野田のスクーターはもちろん、その身体すら乗りこえるのが当然であるのに、小野田の身体にもその使用車にも、それに相当するような損傷が見出せないことによつても、寺村が小野田の車を発見後、衝突回避に全力を傾注して処置をしたことが看取できる。また、原告らは小野田が三米もつき飛ばされたと主張するが、事実はそれとは相違しており、約一米弱の処に横倒しになつたのであり、それは小野田が寺村の運転する車に突き当つたための横倒れか、それとも小野田の急ブレーキのためもんどり返しになつたのか、判然しないものということもできるし、一方それが寺村の車に突き当つた衝撃のためと仮定すれば、小野田は本件事故を回避するための処置は何らしていなかつたことを示すものであり、本件事故発生の責任は小野田に帰せらるべきである。

三、仮に本件事故が寺村の過失に因り発生したものとしても、これに因り生じた損害賠償の義務はひとり寺村が負うべきものであつて、被告ら両名にはこれが賠償義務はないのである。

(一)  被告会社には本件事故の原因となつた自動車の使用及び運転手の寺村の選任監督につき何らの過失がない。すなわち、右自動車は事故発生の年の三月十七日に東京トヨダ自動車株式会社から購入した五四年型トヨペツト新車で本件発生までこれという事故もなく、何らの欠陥もなかつた車輛であり、被告会社はこれら車輛の取扱並びに整備の監督、管理には、機械技術者である資材部長をもつてこれにあてたうえ、機械の不調又は故障の場合はすべて購入先の専門工場を利用し、整備の万全を期している。また、運転手寺村毅三郎は昭和二十八年三月に都立芝商業高等学校を卒業し、学校長の推薦により、かつ身体その他につき厳重な詮衡を経て採用したものであり、自動車運転免許も一回で合格し、身体、学識、動作等の観点より運転手としての適格を具え、現在被告会社の出荷(荷造、配達)業務に従事し、特に運送については事故発生の年の三月より商業高校卒業の部下を一名配せられ、熱心に社務に励精している青年であつて、被告会社は当日同人に業務指示を与えるにつき何らの手落も無理もなかつたのであるから、被告会社は同人の選任監督についても過失がなかつた、というべきである。

したがつて、本件事故発生の原因が寺村の過失に存したとしても、それは全く同人の自動車運転技術者としての過失であり、被告会社の業務に従事したために当然に生じた過失ともいゝ難いから、これをもつて被告会社の過失とすることはできないものである。

(二)  また、被告石川は被告会社の代表取締役であるが、本件事故の直接責任者である寺村とは主従その他何らの関係はなく、いわんや本件事故発生当日の寺村の行動については全く関知しなかつたものであるから、被告石川に対し寺村を監督するの義務を原因として、本件事故に因る損害賠償責任を追求する原告らの本訴請求は的外れも甚しい。もし寺村に対する監督の義務をいうとすれば、それは全く法人としての被告会社にあるのであつて、被告石川個人に存する理由は絶対にないのである。

四、また、原告らが亡小野田義雄が得ていたと主張する営業上の収益は株式会社オノダ電気商会の利益であつて、小野田個人の収益とは別のものであること、もちろんであり、同会社はまだ株主に利益の配当をするまでの収益もあげていなかつたので、結局小野田の収入は同会社から得ていた給与取得に止まるものというべきである。そして、株式会社オノダ電気商会の収益は、税務署に対する申告をみるのに、小野田の死後、却つて増加していることが明らかである。

なお、小野田に前記会社の営業による収益のほか原告ら主張のごとき裏収入があつたとの事実は否認するが、仮に百歩を譲つて同人にさような収入があつたとしても、それは非課税収益であつて、現在の税制下においては非課税収益が直ちに損害賠償請求額の基準となるか否かは、疑問の余地なしとせず、むしろこれらの収益は課税後において初めて純収入として、損害賠償の基準となり得ると考うべきである。そして、原告ら主張の総収入額から当然に支払うべき所得税額を控除し、かつ原告ら主張の毎月十万円の生活費を控除すれば、厘毛の利益を残さず、却つて相当の赤字となることは、計算上明白である。

原告ら主張の小野田の別途収入中、特に駒込病院内の食堂の取益について一言するが、同食堂が小野田の経営であることは信ぜられないのみならず、同食堂の収益についてはこれを明認すべき資料がなく、また同食堂は小野田の死後も何の影響もなく経営が続けられているのであり、その収益減等についても何の証拠もない。

最後に、原告らは小野田の余命を十九年と主張し、かつその間壮年当時と変りのない収入を得るがごとく主張するが、小野田は死亡当時満五十才を過ぎていたのであり、その後の活動能力は漸次減退すると考えるのが当然であるから、五十五才、おそくも六十才を過ぎれば、それ以前の収入は確保されず、むしろ扶養家族視されるとするのが社会常識の通例である。

要するに原告らの本訴請求は、不当に巨額の賠償請求を維持するために、その理由についても、無理に無理を重ねた主張をなすものであり、かような請求自体、公序良俗に反し、許すべからざるものといわなくてはならない。(自動車損害賠償保障法第十六条及び同法施行令第二条参照)

五、しかも、被告会社は、本件事故が発生するや、金三十万円余を原告らに支払つて、妥当な程度の損害賠償義務は果している。

六、なお、原告らは、被告会社に対する請求は、民法第七百十五条第一項に基くものであるというが、しかりとするも、被告会社は被用者である寺村の選任、監督につき相当の注意をしていたこと、前に主張したとおりであるから、被告会社は寺村の行為につき何らの賠償義務を負担すべきいわれがない。

仮に被告らにおいて何らかの理由で本件事故につき損害賠償の責任を負担するとしても、本件事故は寺村のみの過失によつて発生したものではなく、被害者たる小野田のスクーターの運転についても不注意のそしりを免れないこと、前に主張したところによつて明白であるから、損害賠償の額を定めるにつき、右事実を斟酌すべきである。

第三証拠

一、原告ら訴訟代理人は、甲第一、二、三号証、第四号証の一ないし一一、第五号証の一、二、第六号証の一ないし五、第七号証の一、二、第八号証の一ないし四、五のイ、ロ、六、第九号証の一、二を提出し、証人友野政好、大熊博、寺村毅三郎、高橋一郎、鈴木尚虎、大谷泰久、石井直一、太田幸一郎の各証言、原告小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一、二回)及び検証の結果を援用し、乙第二号証の一、第二号証の二のA、Bの成立を認める、同第三号証の一ないし四、第四号証の一、二、第五、六号証の成立は知らない、と述べ、同第二号証の二のA、Bを援用した。

二、被告ら訴訟代理人は、乙第二号証の一、二のA、B、第三号証の一ないし四、第四号証の一、二、第五、六号証を提出し、証人寺村毅三郎、石川秀明、鈴木利男、丹羽博、齊藤貞三郎の各証言及び検証の結果を援用し、甲第一、二、三号証、第四号証の一ないし一一、第五号証の一、二、第七号証の二、第八号証の一ないし四、五のイ、ロ、六の成立を認める、同第六号証の一ないし五、第七号証の一、第九号証の一、二の成立は知らない、と述べ、同第四号証の一ないし一一を援用した。

理由

一、原告小野田寿美枝は訴外亡小野田義雄の妻、原告小野田初恵は同人の長女、原告小野田一郎はその長男であるところ、原告ら先代右小野田義雄は、昭和二十九年七月三十日午前十時十五分頃、自家用モータースクーターを運転して、東京都文京区内都電本郷三丁目停留所方面から神田松住町方面に向つて、都電の通ずる道路を進行中、同区内都電湯島二丁目停留所附近の五叉路にさしかかつた際、台東区末広町方面より同所に通ずる八間道路上を走行してきた、被告会社の運転手寺村毅三郎(当時十九年)の運転する被告会社の中型トヨペツトライトバン自家用自動車に衝突し、これがため小野田義雄は前記道路上に転倒し、都電電車軌道上の御影石敷石に頭部を激突し、頭部外傷の重傷を受け、ために同日午後八時三十七分に、文京区湯島二丁目九番地順天堂医科大学附属順天堂病院において死亡するに至つたこと、右衝突地点たる五叉路は原告ら主張の各道路が原告ら主張の状況で交叉し、原告ら主張の箇所に「一時停止」の標識があり、同所を通行する諸車は該標識附近において一時停車をなすべき義務のあること(たゞし、原告ら主張のA点において法規上一時停車の義務があるかどうかについては争がある。)及び前記寺村の運転する自動車が走行してきた、台東区末広町方面より本件衝突地点に通ずる八間道路は、被害者小野田のスクーターの進行する本郷三丁目より神田松住町方面に通ずる都電道路に対して枝道たる関係にあり、前者を通行する車は後車を通行する車に対し避譲の義務(たゞし、その義務の内容については争がある。)があることについては、当事車間に争がない。

二、成立に争のない甲第四号証の五、六(寺村毅三郎の昭和二十九年七月三十一日附及び大熊博の司法警察員に対する各供述調書)、証人友野政好、大熊博の各証言及び検証の結果に、成立に争のない甲第四号証の二ないし四、十一(司法警察員作成の実況見分調書及び捜査報告書並びに寺村の昭和二十九年七月三十日附及び同年十二月三日附司法警察員に対する各供述調査書)及び証人寺村毅三郎の証言の各一部、並びに前記争のない事実を併せ考えるときは、本件衝突事故発生前後の状況は、次のとおりであることが認められる。

前記寺村毅三郎は、本件事故発生当日の昭和二十九年七月三十日午前、取引先におもむく被告会社の社員を送つての帰途、被告会社所有の自家用小型乗用兼貨物自動四輪車トヨペツト五十四年SK箱型を運転して、午前十時十五分頃、台東区末広町方面から本件事故発生地点たる東京都文京区内都電湯島二丁目停留所附近五叉路にさしかかつたが、同人運転の自動車が進行する道路上には別紙表示の〈イ〉点に「一時停止」の標識があり、同道路上を通行する諸車は該標識附近において一時停車をして、同道路に対して主道の関係にある本郷三丁目方面より神田松住町方面に通ずる都電道路の通行車に対しては優先通行せしめ、また、その他の道路の通行車等に対しても危険のないことを確かめた上で、前進横断すべき義務があるところ、たまたま、寺村の車の進行方向前面右側の該停止線附近に、オート三輪車が、方向指示器を右に示し、かつ車の前部をななめ右に向けて一時停車をしており、寺村が徐行して該停止線附近に近づくや、右オート三輪車が前進を開始したので、寺村は該車が右方向に前進を開始する以上、同方向には何らの危険は存在しないものと速断し、一応徐行に移した速度を再び上げて、約二十キロの時速で漫然前記オート三輪車に追随して、前記都電道路を横断しようとしたところ、該車が右都電道路を本郷三丁目方面に走り去つた後に、突然被害者の操縦する自家用軽自動二輪車シルバーピジヨン五十二年型モータースクーターが現われてきて、寺村の自動車と接触し、その後寺村はブレーキをかけたが、小野田は前記衝突による反動のため、スクーターからはねとばされて、都電軌道敷石に頭部を激突したものである。

なお当日は晴天で、本件五叉路附近は、台東区末広町方面から本件交叉点に向つて、やや上り勾配をなしているが、前記停止線附近より、小野田の進行してきた本郷三丁目方面に向つても、視界をさえぎる建造物等もなく、見通しは良好である。

かように認定できる。原告らは、本件における寺村の車の通行方向においては別紙図面のA線及びB線において二回の一時停車の義務がある旨主張するが、証人友野政好、大熊博、寺村毅三郎の各証言を綜合すれば、同方向を通行する諸車は、前示標識の附近(多くの場合はそれよりやや進んだ位置)において一時停車し、本件交叉点を通過するについて危険のないことを確認した上で進行すれば足るものであり、特に二回の一時停車を行うの義務はないものと認めるのが相当である。

証人寺村毅三郎は前記標識附近において一時停車をした旨証言し、前記甲第四号証の四、十一(同人の各供述調書)、成立に争のない同号証の一(起訴状)中にも、これと符合するがごとき記載があるが、本件事故の目撃者である証人大熊博は、寺村の車は「一時停止」の標識のある所で一旦減速したが、また加速して進行した、と証言し、その他証人友野政好の証言により認定し得る本件事故発生直後の状況等よりしても、寺村は本件停止線附近で減速はしたものの、前車の進行に追随して、そのまま加速前進し、完全に停止はしなかつた、と認定するのが相当である。

また、前記甲第四号証の二、三、四(実況見分調書、捜査報告書、寺村の供述調書)中、寺村が本件衝突直前ブレーキをふんだ旨の記載部分は、同号証の五(同人の供述調書)及び右寺村証人の証言と対比して、信用できない。

更に被告らは、本件地点における避譲義務は、主道における交通の杜絶を確認すれば足り、その意味における義務は寺村においてもこれをつくした旨主張するが、交通の杜絶を確認するということも、主道を通行する諸車の避譲は期待し得ないこと、主道と枝道との関係から当然であるから、結局これらの車を優先して通行せしめるということと同一内容に帰着すべく、寺村は衝突前被害者の車を発見したとすれば、右避譲義務を果さなかつたこととなり、もし不注意のためこれを発見し得なかつたとすれば、その責に帰すべき事由により、該義務を果すことが不能であつたものであるから、いずれにしても、本件事故の責任を免れ得ない。

以上認定事実によれば、寺村は前記台東区末広町方面から本件五叉路に通ずる道路上を同方向に進行する車の運転者として、前記「一時停止」の標識附近において完全に停車し、該地点を通過するについて危険がないかどうかを確かめるべく、特に主道たる本郷三丁目方面より神田松住町方面に向う都電道路の通行車に対してはこれらを優先通行せしむべき義務があり、かつ寺村が右注視義務をつくしたならば、ゆうに被害者の車を発見し、十分に事故回避の措置をとり得たであろうにかかわらず、たまたま前の車が一時停車の姿勢から前進を開始したのに追随して、一応は減速したものの、完全に停車しないで、再び加速し、ことに前車の進行方向には何らの危険のないものと速断し、十分な注視の義務を果さずして漫然進行したため、突然前面の該方向に被害者の車を発見しても、急停車その他事故発生を防止すべき何らかの措置をとるのいとまがなく、ついに本件衝突事故発生に及んだものであり、本件事故は、右認定の寺村の過失に基因するものと認めざるを得ない。被告らは、本件事故については、単に寺村の過失のみならず、被害者たる小野田の運転上の過失も亦その原因をなした、と主張するが、これを認め得らないことは、後に説示するとおりである。

三、右運転手寺村は、被告会社の被用者であり、被告会社の社員を得意先に送つた帰途に本件事故を惹起したことは、前記のとおりであるから、本件事故は被告会社の業務を執行するにつき発生したものといわなくてはならない。(そのことは、むしろ被告らも争わないところと認むべきである。)被告らは、本件事故発生につき被告会社に何らの過失のない旨種々主張するが、原告らの被告会社に対する請求の原因としては、被告会社に何らかの直接の過失があつた、と主張するものではなく、民法第七百十五条第一項の使用者としての責任を追求するのであることは、その主張に徴して明らかであるから、被告会社において本件事故発生につき何らかの過失があつたということは、原告らが被告会社に本件損害賠償請求をするについての必要要件ではない。

たゞ、被告らにおいては、被告会社は寺村の選任監督につき相当の注意をした、と抗争し、もし右主張事実にしてその確証を得たならば、民法第七百十五条第一項但書によつて、被告会社は損害賠償の責任を免れるわけであるが、真正に成立したと認むべき乙第三号証の一ないし四、第四号証の一、二、第五号証(寺村採用関係書類、表彰状等)、証人寺村毅三郎、石川秀明、鈴木利男の各証言によつても、被告会社が本件事故発生の責任を免れ得べき程度に選任監督の注意を払つた、とも認められないので被告らの右抗弁も採用することができない。

四、よつて、進んで、本件事故につき被害者小野田義雄及び原告らの被つた損害の額について検討する。

(一)  まず、同人が生前得ていた収入について、

証人大谷泰久、太田幸一郎の各証言及び原告小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一回)によれば、小野田義雄は株式会社オノダ電気商会の代表取締役であつたことが明らかであり、原告らは同会社の事業は小野田の個人営業と実体上異ならないから、同会社の収益をもつて同人個人の収益と同一視すべき旨主張するが、同会社が法人として、小野田の生死にかゝわらず存続する以上、原告らのかゝる主張は採用しがたい。而うして成立に争のない乙第二号証の二のA、B(源泉徴収票)によれば、小野田は前記会社から昭和二十八年一月には一カ月金二万円、同年二月からは一カ月金二万五千円の給与を支給されていたことが認められ、税務署に申告されていた同人の個人所得としては、それ以外に認むべきものがないが、同人の実質上の収入としては、はるかに右申告額を超過するもののあつたことは、証人高橋一郎、鈴木尚虎、大谷泰久、石井直一、太田幸一郎の各証言、原告小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一、二回)に徴して明らかである。しからば、その実質上の収入がいか程であつたかについては、直接にその額を確認するに足る何らの証拠がないが、たゞ原告小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一回)により成立を認め得べき甲第六号証の二、三、四(各証明書)によれば、小野田義雄は死亡直前まで、無尽類似の組合である動栄会に日掛で毎月金一万五千円を積み立て、また城北信用組合に毎月金一万六千四百円及び株式会社平和相互銀行三河島支店に毎月金一万五千円ずつ貯金していたことが明らかであるから、以上合計金四万六千四百円は、特にこれと異なる事実のみとめられない限り、一応同人が毎月の収入より生計費その他の経費を控除した余剰のうちから貯蓄したものであつて、同人は少なくとも毎月同額の純収益を得ていたものと推測するのが相当である。そのほか、甲第六号証の一の国民金融公庫に対する払込金は、前示小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一回)によれば、同公庫よりの借財の返済であつて、小野田義雄の貯蓄と目すべきものではなく、また同号証の五の滝野川信用金庫田端支店に対する定期積金も原告小野田寿美枝名義のものであるから、むしろ同女の収入に属するものと認むべきであつて、これ亦亡義雄の貯蓄ということができず、いずれもこれをもつて同人の収益に加算することは相当でない。

亡小野田義雄の生前得ていた純収益は、以上認定の一カ月につき金四万六千四百円であり、一年につき金五十五万六千八百円に上るところ、右収益については所得税が支払われてなかつたこと、弁論の全趣旨に徴し明らかであつて、同人が正当に得べかりし収益としては、右金額より、当然支払わるべきであつた所得税額を控除さるべきであるところ、当時施行されていた所得税法第十三条の税率(二万円以下の金額につき百分の十五、二万円をこえる金額につき百分の二十、七万円をこえる金額につき百分の二十五、十二万円をこえる金額につき百分の三十、二十万円をこえる金額につき百分の三十五、三十万円をこえる金額につき百分の四十、五十万円をこえる金額につき百分の四十五)にしたがつて、前記金額につき課せられるべき所得税の額を計算すれば、金十九万六十円となるので、前記金額からこれを控除した残金三十六万六千七百四十円をもつて、同人が一カ年に正当に得べかりし純収益であり、かつ将来も特別の事情の変更がない限り、相当期間にわたつて、同額の収入を得たものと推認するのが相当である。

次に、同人が右認定の額の収入を引続いて得たであろう期間について考えるのに、同人は明治三十五年六月二十六日生の男子であることは、成立に争のない甲第一号証(死亡診断書)により明らかであつて、本件事故に因る死亡当時満五十二才であり、成立に争のない甲第五号証の二(財団法人厚生統計協会発行の厚生の指標第一巻第一四号の記事)によれば、同年齢の男子の平均生存残年数は一九・七八年であることが認められるが、同人がその後年死亡時まで前認定のごとき高額の所得を確保し得たであろうかは、疑問の余地なしとしない。証人大谷泰久の証言によれば、小野田は一級通信士の資格を有し、電気工事の監督施工等の技術関係の労務にその収入の根源が存したことがうかがわれるので、老齢に及んでは、従来壮年時のごとき収入は期待できないものと考えるのが相当である。而うして、その限度については、これを確認すべき資料はないが、一般会社においては五十五才をもつて停年としていることの多い社会的事実、及び真正の成立を認むべき乙第六号証(読売新聞の記事)によつてうかがわれる、六十五才を過ぎたものに対して国民年金を支給すべきことが提案されている事実、及び前段認定の小野田の業務の性質にかんがみ、少なくとも満六十才までは前認定の収入を確保し得たであろうと推定するのが相当である。

してみれば、小野田は少くとも向後八年間前記認定の収入を継続して得たであろうことが推測でき、小野田は本件事故により将来得べかりしその利益を喪失したものであるから、被告会社に対してその賠償を請求し得べきところ、その請求額は、将来得べかりし利益を現在一時に請求する場合であるので、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除して、爾後八年間、毎年の収益喪失を原因とする賠償額を累計すれば、金二百二十七万三千百八十八円となるので、亡小野田義雄は被告会社に対して同額の損害賠償債権を有したものといわなくてはならない。

(二)  次に、原告本人小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一回)によれば、小野田義雄は、本件事故に因るスクータターの損壊のため、その修理費に相当する損失を被り、かつ所持のスイス製十四金側腕時計を修理不能の程度に損壊されたことが認められ、またその入院、医療のため相当の費用を支出したであろうことは、想像に難くないが、これらの額に関する前記原告本人の供述は正確性を欠き、他にその額を確認するに足る資料がないので、これらの損害を原因とする原告らの賠償請求は容認しがたい。

(三)  たゞ原告本人小野田寿美枝の本人尋問の結果(第二回)により成立を認め得る甲第九号証の一、二(領収証及び明細書)によれば、原告らは、亡小野田義雄の葬儀費用として金九万三千四百円を支出したことが明瞭であるので、これらは、原告らが被つた固有の損害として、各自平分してその賠償を求め得べきである。

五、被告らは、本件事故発生については、被害者たる小野田の過失も原因するから、その損害賠償額の算定につき、右小野田の過失をも斟酌せらるべき旨主張するが、元来被害者小野田は主道たる前記都電道路を通行していたものであつて、枝道たる前記八間道路を通行していた寺村の車の避譲を期待し得た立場にあつたのであり、しかるにもかゝわらずなお同人に何らかの過失のあつたことについては、何らこれを認むべき証拠がないので、被告らの右抗弁はこれを採用することができない。

六、また、原告らの本訴請求が不当に巨額の請求をし、公序良俗に反する旨の被告らの主張も、何らこれを容認すべき根拠がない。(被告ら援用の自動車損害賠償保障法等の規定も、被告らのこれら主張を認むべき理由とならない。)

七、原告寿美枝は被害者義雄の妻、原告初恵及び同一郎はその子であり、義雄が昭和二十九年七月三十日に死亡したこと、前記のとおり当事者間に争いがないから、原告ら三名は各三分の一の割合をもつて、義雄の有した前記損害賠償債権を相続によつて取得したものであることは、言うまでもない。してみれば、原告らは右相続によつて取得した債権金二百二十七万三千百八十八円と、前記認定の固有の損害金九万三千四百円との合計二百三十六万六千五百八十八円につき、各自三分の一ずつの損害賠償債権を有するところ、被告会社がそのうちすでに金三十万円を支払つたことは、証人石川秀明の証言及び原告本人小野田寿美枝の本人尋問の結果(第一回)により明らかであるので、これを控除し、残額二百六万六千五百八十八円の三分の一である金六十八万八千八百六十二円ずつが、原告ら各自の有する損害賠償債権である、といわなくてはならない。

八  原告本人小野田寿美枝の本人尋問の結果によれば、亡小野田義雄は前記業務のほか町会副会長、商店会長、区教育委員、安全交通協会理事等の名誉職を兼ね、妻寿美枝とは昭和十年十二月に結婚し、死亡当時同女との間に、当時山脇美術服装学院に通学中の長女である原告初恵(昭和十一年一月生)及び立教高等学校在学の長男原告一郎(昭和十三年九月生)があることが認められる。原告寿美枝は本件事故のためこれらの地位にある夫を突如として失い、営業及び子女の養育の責任を一時にその双肩にになうこととなり、甚大な精神上の苦痛を受けたであろうことは、推察に難くない。また、原告初恵及び同一郎にしても、年少かつ勉学中に父を失い、精神上の打撃を受けたと認むべきは当然である。被告会社は原告らのこれら精神上の苦痛についてもこれを慰藉すべき責任があり、その額としては、前に認定した諸般の事情に照し、原告寿美枝に対しては金三十万円、原告初恵及び同一郎に対して金十万円をもつて相当とすると解すべきである。

九、そこで、被告石川徳松に対する請求について判断する。同人が被告会社の代表取締役であつたことについては、当事者間に争がないが、民法第七百十五条第二項による損害賠償責任を問うがためには、単に使用者たる法人の代表者或いは役員であることをもつて十分でなく、更に実質的に使用者に代つて被用者の事業の執行を監督する関係にあることを必要とする、と解すべきところ、被告石川は単に被告会社の代表取締役である、ということ以外に、更に進んで実質的に被用者である前記寺村の事業の執行を監督する関係にあつた事実については、何らこれを認めるに足りる証拠がないので、同条項に基き被告石川に対して本件事故に因る損害賠償を求める原告らの請求は、これを認容することができない。

一〇、以上の理由によつて、原告らの本訴請求中、被告会社に対して、原告寿美枝に対しては前記七で認定した損害賠償債権と八の慰藉料債権金三十万円との合計金九十八万八千八百六十二円、他の被告両名に対しては、それぞれ七の損害賠償債権と八の慰藉料債権金十万円との合計金七十八万八千八百六十二円ずつ、及びそれぞれ右金額につき、本件訴状が被告会社に送達された日の翌日であること、記録上明白な昭和二十九年九月三十日から支払ずみまで、年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める部分のみを認容し、被告石川に対する請求及び被告会社に対するその余の請求は理由なきものとして、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条本文、第九十三条第一項本文を、被告会社に対する原告勝訴部分の仮執行宣言につき同法第百九十六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 入山実)

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